Text
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Photo Works, 2026.
Artist Text:
結び目から、世界が立ち上がる
私はこれまで、絵と言葉、夢と現実、光と影のあいだに揺れるものを描いてきた。
神話やおとぎ話、児童文学、絵本、漫画など、物語とイメージが結びつく表現に関心を持ち、それらを制作の糧としてきた。イメージと言葉、物や空間を通して、ひとつの世界が生まれる瞬間を探っていたのだと思う。
作品には、子供、動物、仮面、部屋、森、湖、庭、星などのモチーフが繰り返し現れる。それらは、まだ言葉になる前の感情や記憶の痕跡が、物語として紡がれるための入口として存在している。
絵本制作では、絵と言葉が結びつくことで新しい世界が生まれる瞬間に向き合ってきた。また、古い物を扱うなかでは、風化し、欠けた物に残された痕跡を読み取り、新しい意味や物語へと結び直してきた。
私にとって絵画制作、絵本制作、古い物を扱うことは、いずれもイメージや物に宿る痕跡を見つけ出し、それらを物語として結び直す試みとしてつながっている。そして、その結び目から、ひとつの世界が立ち上がっていくと考えている。
2026. 6.
制作ノートより
Photo Works, 2017-2020.
Artist Text:
解かれた像
民話や伝説、神話といった物語は、人々がある物や場所に畏怖や神秘、神聖性を感じたことから生まれてきたのではないだろうか。
写真機は、そうした感情を呼び起こす物や場所を記録し、そこから像を切り離す装置である。さらに、写されたものの細部を消すことで、その像は特定の場や時間からも解かれ、単なる記録ではなく、時間の外へと開かれたイメージになっていく。
そうした写真を前にすると、私たちは現在から離れ、目の前の像を手がかりに、より遠い時間へと遡っていく。そこに現れるのは、かつて人々が畏怖や神秘を感じた物や場所の気配であり、その気配の中から物語が生まれ、新たなイメージが現れていく。
2020.
制作ノートより
Photo Works, 2017-2020.
Artist Text:
物語を宿すもの
物には、それが作られた由来があり、ある時代、ある場所で人の手に収まっていた過去がある。そこに宿る時間や記憶は、詩のようでもあり、短編小説のようでもあり、ときには長編小説のようでもある。
しかし、本来その物が持っていた物語は時の流れの中で失われ、その空白に新たな物語が与えられることもある。
古道具の文脈で言えば、それは「見立て」である。物の意味を読み替え、別の文脈へ置き直す行為、つまり再文脈化だ。石や木片を山と見なし、欠けた器の中に景色を見るように、本来の用途や意味からずらすことで、そこに別の像や気配が立ち上がる。
アートの文脈で言えば、それはファウンド・オブジェクト、レディメイド、オブジェ、アッサンブラージュとも響き合う。私はそうした物のあり方に惹かれ、古道具を収集するようになった。
2018.
olim ウェブサイトより抜粋・再構成
Beginning of a World, When Stories are Born –Gallery b. Tokyo, Tokyo 2016.
Artist Text:
物語が生まれるとき、世界がはじまる
遥か昔から人々は、民話や伝説、神話を創造しながら、それらの物語を通して自らを取り巻く世界への理解を深めてきた。
未知なるものに対して畏怖しつつも神秘を感じ、神聖性を認めて崇め祀り、物語を創造するとともに未知に対するイメージを築きあげていったのだ。
物語とは、そのような未だ知らぬものへの理解を深める手段であり、個人や集団や社会の根拠を規定するためのプロセスと言えるだろう。
物語によって、私たちはいまここに、どうして存在するのかを直感することができるのだ。
すなわち世界は、物語によってはじまると言えるだろう。
2016. 8.
個展「物語が生まれるとき、世界がはじまる」の展覧会テキストより
Prayer for Wreckage of Reveries –Satellite Gallery of Aichi University of the Arts, Aichi 2013.
Review:
個展「夢想の残骸への祈り」の展評
展示室に入ると、黒い葉が茂る深い映像の森に迷い込んだような視覚的な錯覚に陥る不思議な絵画空間に誘われる。若手の平面は浮薄化し弱くなったとよくいわれるが、新しい才能に遭遇する喜びもときにはあるものだ。
福山は成安造形大学で立体を学んだ後、愛知県芸大大学院で平面に研さんを重ねた。平面作品は近年の創作だが、そこには絶えず立体的な世界を意識した空間構築があるようだ。
平面と彫刻の境界をどう処理するのかという課題に対面するとき、画家の脳内には夢想という儚いモチーフが浮かぶ。画面を効果的に支配するのは、舞い散るような葉のような黒い浮遊物。
浮遊物の形態は顔にもただの構成的な配置にも見え、だまし絵的な視覚への揺さぶりを生じさせる。意識するという「黒い太陽」という存在は、創作の在り方の根底にある。黒色が醸し出すぎりぎりの所にある生に、死の匂いも控える。
黒はある種の影絵であり、背後に漂う幻灯のような光彩と反応して重層性を増す。
2013. 6. 12.
黒谷 正人 中日新聞 編集局 文化部
中日新聞より抜粋
Works, Kyoto 2011-2013.
Artist Text:
夢想の残骸への祈り
夢想がそれぞれの時代や社会、あるいは僕自身を覆うことがある。
しかし、それは長くは続かない。ある時、ある瞬間に崩壊する。
そうして夢想は残骸と化し、 歴史のなかに消えていく。
僕は、消えた残骸を拾い集めて祈りを捧げる。
つくるということは、きっとそういう行為なのだろう。
2013. 5.
個展「夢想の残骸への祈り」の展覧会テキストより
Scenery in Dim Light –Tokyo Wander Site Hongo, Tokyo 2012.
Review:
個展「薄明かりの風景」展評
明け方の光景を定着させる、という動機から出発し、多色の地を作ってそこに黒い形態を配置する、という今の手法に至ったと聞きました。
この手法の発見が、当初の目論見よりさらに複雑な効果と思考を引き出す結果をもたらしたと感じます。
地は特に色や配置を決めることなく作り、黒い部分についても、あらかじめ具体的な形を決めず、画面内のあちこちに少しづつ置いていくやり方で描き進めるとのことでした。しかしそこには、繰り返し一つの形が現れたり、おのずと左右対称の構図が出来上がったり、黒い形態がちょうど植物の成長のように下から上へと伸びる運動を孕んでいたりと、どこから訪れるのかわからない造形の法則がいくつか生じています。
ここに、作家が身を開いてこうした法則の到来を待ち受けるような、不思議な受動性とその可能性が感じられました。油絵という素材の選択も重要です。すぐに乾き描き直しのきかないアクリルに対して、乾燥に時間を要する油絵具は、その生成に必要なだけのゆっくりとした時間を黒い形態にあたえているのです。
2012. 8.
蔵屋 美香 東京国立近代美術館 美術課長
TWS-emerging 2012 展覧会カタログより
Works, Kyoto 2011-2012.
Artist Text:
「薄明かりの風景」によせて
「薄明かりの風景」とは、光と影が混ざり合う風景、つまり何かと何かが混ざり合う境界線上の風景と言えます。
神話やお伽噺のなかでは、自然も人も動物も植物もときに互いの境界を越えて変身や合体をしていきます。それらはまるで夢そのもののように、境界線上のあいまいなイメージとして矛盾を含みつつ存在するのです。
「薄明かりの風景」にも神話やお伽噺のようなそうしたイメー ジが現れます。そしてそれらの風景が、一つひとつ緩やかに繋がり“ ものがたり” となっていきます。
先の見えない薄明かりのなかで、一体どのような風景を“見る”ことができるのか。そしてそこからどのような“ ものがたり” を見出すことができるのか。それがこの展覧会での作りたかったものです。
2012. 8.
個展「薄明かりの風景」の展覧会テキストより
Works, Kyoto 2011-2012.
Artist Text:
無限に連なる部屋の中で
人の心には、いくつもの部屋が存在している。それらの部屋には様々な種類と階層があり、よく出入りする部屋もあれば、ほとんど足を踏み入れることのない部屋もある。そうした部屋のあり方によって、人の心は意識的、あるいは無意識的にかたちづくられているのではないだろうか。
ひとつの作品は、心の中のひとつの部屋のようなものだ。作品に現れるイメージは、日々の生活の中で意識することのなかった部屋の存在を私に教えてくれる。そこには、これまで閉じ込めてきたものや、捨て去ってきたものたちが存在している。
それらは私自身の影なのだと思う。部屋の中にいる影を知ることは、自分自身をより深く理解する上で欠かせない。光と影は表裏一体のものだからだ。
だからこそ私は、部屋としての作品をつくり出し、その中へ入っていく。すべての部屋が意味のあるものになるとは限らない。それでも探索を繰り返しながら、その奥へと足を踏み入れていく。
一つひとつのイメージとの出会いに感覚を澄ませることで、作品を通して、人の心の深みにあるイメージに触れることができるのではないかと思っている。
2011. 3.
制作ノートより
Photo Works, 2017-2020.
Archive:
光と影
絵画を見るとき、私たちは自然と「光」と「影」を見ています。
明るい部分と暗い部分。その差によって、形や奥行き、存在感を感じ取っています。
けれども、ここでいう光と影は単なる絵画技法の話しだけではありません。
人が世界をどのように見てきたのか。何を信じ、何に不安を抱き、どのような価値観の中で生きてきたのか。
そうした時代ごとの意識もまた、光と影の表現の中に映し出されているのではないか。
修士課程在籍時に執筆したこの小論文は、そのような視点から西洋美術の歴史と現代におけるアートの在り方を考察したものです。
本論では、西洋美術の歴史を「神における光と影」「人間における光と影」「消費社会における光と影」という三つの視点から考察しています。
古代から中世において、光は神や自然の神秘と深く結びついていました。光は人間が自由に扱えるものではなく、世界を支える大きな存在から与えられるものとして捉えられていたのだと思います。
近代になると、その中心は神から人間へと移っていきます。人間が自ら考え、選び、生き方を決めていく時代になる一方で、そこには不安や孤独、精神の揺らぎも生まれます。そうした内面の動きが、新たな光と影として作品の中に現れるようになります。
そして現代では、オリジナルとコピーの境界が曖昧になり、イメージはデータとして消費され、分解され、再構築され続けています。光と影もまた、ひとつの中心から生まれるものではなく、無数の情報や記号の中から立ち上がるものになっているように見えます。
この文章で試みたのは、光と影の変化をたどることで、各時代のアートがどのような社会や価値観の中で生まれてきたのかを読み解くことです。
同時に、中心となる価値が見えにくくなった現代において、作家や作品がどのように自らの意味を見出し、アートとして成立し得るのかを考えることでもありました。
アートを、時代を映す鏡として見ること。
そして、その鏡に映る光と影から私たちが生きている時代そのものを考えること。
本論は、そのためのひとつの視点として書かれています。
2010.
小論文『光と影』より抜粋・再構成

























































































